阿久悠
高橋まりがボーカルとなったペドロ&カプリシャスの4枚目のシングル ジョニィが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと 割と元気よく出て行ったよと お酒のついでに話してよ 友だちなら そこのところ うまく伝えて ジョニィが来たなら伝えてよ わたしは大丈夫 も…
また逢う日まで/尾崎紀世彦 ほか 作詞家としてのレコード・CD総売上枚数こそ、秋元康にトップを譲っているが、やはり作詞界の王者と言えば阿久悠だということに異論はないだろう。 今回選出した曲はいずれもレコード大賞受賞曲で、5曲の受賞は最多記録であ…
ピンク・レディーの3枚目のシングル前作『S・O・S』に続きオリコン1位を獲得 ピンク・レディーは、デビューしてから矢継ぎ早に次々とシングルを出していったので、曲のリリース順をあまりよく覚えていないのだが、この曲は3枚目のシングル曲である。 タイト…
高校を卒業した時期、当時まだ18歳だった岩崎宏美の11枚目のシングル 足音もなく行き過ぎた 季節をひとり見送って はらはら涙あふれる 私十八 無口だけれどあたたかい 心を持ったあのひとの 別れの言葉抱きしめ やがて十九に 心ゆれる秋になって 涙もろい私 …
ペッパー警部/ピンク・レディー ほか 昭和歌謡の巨人、阿久悠と言ったら、自分世代にとってはやはりなんと言っても「ピンク・レディー」だ。 ピンク・レディーのデビューは1976年、つまり自分の小学校入学と同じ年で、その頃の自分はなにをしていたんだろう…
地平を駈ける獅子を見た/松崎しげる ほか 阿久悠というと、昭和歌謡の巨人と呼ばれ、主に70年代を中心に、歌詞の斬新さと奇抜さで時代を築いた、まさに巨匠という存在だ。 自分が子どもだった頃は、やはりピンク・レディーの作品を次々と世に送り出したこと…
シンデレラ・ハネムーン/岩崎宏美 ほか こうして阿久悠が作詞を手掛けた女性アイドルの歌謡曲を並べてみると、ここには含めなかったピンク・レディーを除くと、阿久悠自身、あまりこのジャンルには関与が薄かったように感じられる。 自分が考える阿久悠作品…
時代おくれ/河島英五 ほか 昭和歌謡の巨人と呼ばれた阿久悠の絶頂期はやはり70年代だったのだろう、80年代になると阿久悠の作詞の斬新さはあまり聞き手に響かなかったようだ。 自分の印象ではあるが、80年代は歌詞よりもメロディが重視され、尚且つアーチス…
どうにもとまらない/山本リンダ ほか 8月1日は作詞家・阿久悠の14回忌なのだそう。 ここ最近、相次いで昭和歌謡の大物が亡くなっているので、阿久悠が亡くなったのも割と最近のことかと思っていたのだが、意外と随分前のことだったんだなという印象だ。 こ…
コロッケのモノマネでも知られる岩崎宏美の14枚目のシングル この曲がヒットした当時は特段思わなったが、後になって思えばヘンなタイトルである。 シンデレラの新婚旅行?という歌詞やタイトルには意味はないようで、恐らくこの年に開港した成田空港を意識…
森田健作自身が主演を務めた青春学園ドラマ「おれは男だ!」の主題歌 もう30年ほどになるのだろうか?、 長きにわたって政治活動をしているなかで様々な毀誉褒貶を受けてきたことと思うが、いまだに精力的な活動を続けているところは、やはりエネルギッシュ…
巨人・王選手のホームラン世界新記録で日本中が沸き返るなかリリースされた一曲 この曲がヒットした折しも巨人軍・王貞治選手が、前年9月にホームラン世界新記録を達成し日本中が祝賀ムードに沸いていた。 「背番号1」といえば、まさしく王選手であり、王選…
中村雅俊の23枚目のシングルドラマ「誇りの報酬」主題歌 あまりヒットしなかった曲ではあるが、自分にとってリアルタイムで聞いた中村雅俊の曲の中では特に印象に残っている。 いつの時代もそうかもしれないが、80年代もご多聞に漏れずテレビドラマでは刑事…
米ロサンゼルスのリゾート地を歌った桜田淳子の26枚目のシングル 幼少の頃の人気アイドルだった桜田淳子の曲のなかで、自分にとって聴き覚えがあるのはこれが最後の曲になった。 ちょうど70年代が終わりに近づき、歌謡界・アイドルたちの顔ぶれにも変化の兆…
後年、山瀬まみがカバーした阿久悠・大野克夫の作による和製ソウル・ミュージック 70年代、この曲がディスコでもてはやされて、当時の若者たちが踊りに熱狂したといわれているコミカルなソウルミュージックだ。 この曲を聴くようになったのは、馴染みのカラ…
フィンガー5のヒット曲をカバーした小泉今日子の28枚目のシングル なんでキョンキョンが70年代のカバー曲を歌ってんの?と思って調べてみたら、この曲は1988年にリリースしたアルバム「ナツメロ」に収録された一曲で、その翌年にシングルカットされたものだ…
ピンク・レディーの11枚目のシングル9作続いたオリコン1位記録が途絶えた デビューから3年足らず、自分の印象ではあるが、ピンクレディーの人気が低下したように感じた頃にリリースされた曲だ。 オリコン4位の売上げを記録したのだから十分ヒット曲だという…
ピンク・レディーの2枚目のシングルが初のオリコン1位を獲得 デビュー曲が大ヒットすると、その後、あとが続かないというケースが多くあるが、前作の『ペッパー警部』を上回る大ヒットとなった。 初めてピンク・レディーを見たのは自分が幼い頃だったが、露…
白い蝶のサンバ/森山加代子 ほか 1969年生まれの自分にしてみれば、阿久悠の存在はピンク・レディーのヒット曲によって知ることになったのだが、それ以前にも歌謡史に輝く名曲を残していることがわかる。 よく考えるのだが、ヒット曲というのは、詞なのかメ…
津軽海峡・冬景色/石川さゆり ほか 70年代後半、この頃の阿久悠はピンク・レディーの楽曲向けの歌詞制作に追われていたことだろう。 その一方で、このような名作と言われる後世に残る詞を書きあげているのだから、やはり「巨人」に違いない。 むしろピンク…
ペッパー警部/ピンク・レディー ほか ピンク・レディーが歌った曲の大半が、作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一によるものである。 2作目の『S・O・S』から、10作目の『カメレオン・アーミー』まで9作連続オリコン1位、5作品でミリオンセールスを記録、『UFO』が…
桜田淳子の15枚目のシングル 70年代の中盤、自分が小学校にあがろうかという年代、最も人気があった女性アイドルは桜田淳子だったと朧げに記憶している。 だが、どの曲もなんとなく聴き覚えがあるという程度で、この曲も最近までほぼ聞いたことがなかった曲…
1971年に解散したタイガースが「同窓会」としてリリースしたシングル タイガースを知らない自分にとって、この曲は当時のGSブームを牽引したタイガースの様子を見聴きする貴重な一曲となった。 リードギターの加橋かつみとメインボーカルの沢田研二が交互に…
1971年にソロ活動を開始した沢田研二の14枚目のシングル 子どもの頃、歌謡界のスーパースターといえば、やはり「ジュリー」こと沢田研二で、その象徴的な出来事は、『勝手にしやがれ』が大ヒットしてレコード大賞を受賞したことだ。 それ以前にこんな名曲が…
八代亜紀の30枚目のシングル1980年日本レコード大賞受賞曲 これだけの歌唱力、表現力があっても、歌謡界、演歌界の女王のポジションには立っていない、というのは自分が子どもの頃から抱いていた八代亜紀に対する印象だ。 当時の女王と言えば、都はるみ、石…
阿久悠+大瀧詠一による歌謡曲の名曲「AGF・マキシム」のCMソング 小林旭といえば、当時『マイトガイ』と呼ばれた日活の大スターで、あのタフガイ・石原裕次郎と並び称されたのだから、さぞかし人気があったことだろう。 とはいえ、我々世代は、日活ではなく…
平成時代も残すところあと2日、昭和に生まれた曲で、平成、そして令和に渡って歌い継がれていくだろう名曲というものはいくつもあるが、この曲もそのひとつだ。 昭和47年リリースの曲だから自分にとっては馴染みのない曲ではあるが、近年の紅白歌合戦でも何…
郷ひろみにとって27枚目のシングルドラマ「ムー一族」の挿入歌 樹木希林を最初にテレビで見たのは、自分が小学生の頃放送していた「ムー一族」だ。 子どもには理解しがたいシュールな番組だったが、確か浪人生役の郷ひろみとお手伝いん役の樹木希林という設…
男女の出会いと別れを歌った、デュエット歌謡のスタンダード・ナンバー 立ち寄った居酒屋で、こんな風に女性との出会いがあったら実にラッキーだが、ひとりでふらりと居酒屋やバーに行く機会が多い人にとっては、よくある出来事かもしれない。 だから、「今…
70年代のヒットメーカー・森田健一が歌った大ヒット青春ソング この曲がヒットした当時、自分は小学1年生だったので、この曲をテレビで聴いた記憶がほとんどないのだが、その翌年、自分の姉が小学校を卒業するというタイミングで、この曲の存在をよく知るこ…